僕はmixiには登録しておりません。
以前は登録していたのですが、なんとなく鬱陶しくなって退会しました。
実は先日、再登録しようとしたのですが、今は携帯電話のメール設定とか必要なんですね。
僕の携帯電話は古すぎて(第二世代)未対応だったようです。
早く携帯、買い替えなきゃ・・・。
じゃあ、僕がmixiを見れないかというと、そういうことはなくて、まぁ、ちょっと方法を考えれば見ることが出来ます。
なので僕も時々ですが、覗かせてもらっているのです。
ある地元の方のご自宅が空き巣に入られた・・・なんてお話は、だからぜーんぶ知っているのであります(笑)
さて・・・・。
mixiに「バサラ」というHNの方がいます。
まぁ「バサラ」でmixi検索しても多く出過ぎますから、検索条件を入れたほうがいいでしょう。
名前は本名で登録しているようです。
彼はmixi日記で「バサラ・カフェ」という身近な実話をシリーズで書いた後に「千中ラプソディー」というシリーズを書き始めました。
これは京都の千本中立売という地名を指すのですが、1983年の春から翌年1984年の春にかけて、千本中立売からもう少し西に行った、中立売七本松という場所にあった下宿を舞台にしたフィクションだということなのです。
実は僕がその下宿で暮らしたのがまさにその一年間だったのであり、当然、文中に僕の事が「相方」という表記で著されています。
ところがその人物像が・・・・呆れるほどに異常にデフォルメされているのですよ。
横暴で、自己中心的で、傲慢極まりない人物像として描かれているのです。
作者は「あくまでフィクション」だと書いていますが、「マサラティ」だとか古い友人の「桂」さんだとか、他にもあの頃の実名がそのまま表記されているのです。
これはフィクションの名を借りた、印象操作だと僕は思っています。
当時の僕たちの話を少しでも知る人にとっては、マサラティの「相方」の人ってこんな人なのかと信じてしまう可能性大であり、僕に言わせれば「中傷記事」に他ならないと思います。
なので、目には目を、じゃないけど、僕も書かせてもらいます。
「1983年〜1984年、人生で最も楽しい時期だった。あるひとりの人間の思惑を除いては」と彼は書いています。
バサラという人にとっては楽しくてたまらなかったようですね。
彼の想像したとおり、僕は「思惑」とかそういうことじゃなく、苦痛な一年を過ごしました。
下宿生活そのものが苦痛でしたね。
1983年〜1984年といえば、唯一楽しかったのは、マサラティをさっさと解散し(笑)ソロ活動を始めたことでしょうね。
現ROOM335マスター、現Slowhandマスター、それから祇園周辺のJAZZスポットを中心に活躍されているベーシストDさんという、錚々たるメンバーをバックに従え、弾けるように歌っていた頃ですから。
それまでの鬱憤を晴らすかのように、歌うことが本当に楽しかった頃です。
でも下宿に帰るとつらかった・・・。
せっかく音楽で切れたのに、生活の深部まで干渉してくるようになったからです・・・。
そういうわけでこの時期にマサラティはこの世に存在していません。
ツアーに行くわけもないし、なんで僕が桂くんを殴らなきゃいけないのですか?
フィクションにしても無茶苦茶すぎます。
もう本当のことを書きましょう。
僕がその後、必死のパッチで(笑)大学へ通い、なんとかかんとか大学を卒業し、逃げるように神戸に帰ってきたのは、すべて彼から離れたい一心からなのでした。
別に京都が嫌になったわけでもなく、神戸が海が恋しかったわけでもなく、全ては彼から離れるのが目的だったのです。
神戸に帰った時点で縁を切っても良かったのですが、彼のことさえ除けば、僕にとって京都は青春の思い出の町ですからね。
周囲のことも考慮して、つかず離れず、一定の距離をとってつきあってきました。
しかし数年前、彼と同棲する女性から、僕の生活に関して干渉されて、もはや我慢の限度を超えてしまい、ついに絶縁したのです。
絶縁してからは何か、全てが好転したように思います。
中学生の時、学年中の先生に囲まれて「あいつがグレたらお前のせいやからな」というトラウマから解放され、ホッとしたことも大きいです。
京都で僕が一番楽しかった時期は、やっぱり京都・烏丸丸太町に下宿し始めた1年目ですよ。あの1年は楽しかった。
翌年、彼がやってきてからは、何かが少しづつ、おかしくなっていったのです。
それから彼はこんなことも書いています。
僕が「紙に書ける不幸なんてものは、しょせん幸福のバリエーションだ」と発言した、と。
この発言には大いに問題があると思う、そう彼は書いています。
確かにこういう類のことを言ったような記憶はあります。
額面通りに読めば、確かに問題があるように「印象操作」されますよね。
でも僕は彼が、やたら周囲に向かって自分の不幸体験を吹聴し、同情を得ることで一時的に幸福感に浸る、そのことに対して警告したのです。
そんな甘えた考えが癖になると、いつか誰も見向きもしなくなる、そんなことを伝えたかったのです。
思えば彼の口癖は「いつもひとりでやってきた」「全部自分でやってきたんや」でした。
九州の例の彼女のお母さんが出てきた時も「僕は自分でやってきました。学生とか関係なく、自分でやっていけるのです」と言い張ったそうですね。
アホやなぁ、と思っていましたよ。当時から・・・。
「もちろん周りの方々には日々感謝しています」と、ひとこと言っていれば状況は変わったでしょうに。
彼はそういうことが抜けてる人なんです。
彼女が可哀想でした。
そういえば、周囲からの励ましや支えに対する感謝の言葉など、彼からは一度も聞いた事がありませんでした。
彼はどこかで「自分は自分。他人は他人」と、根本で切り分けていたように思います。
で、今の彼は、家族から見離され、古い友人から見離され(絶縁したのは僕だけじゃないです)、職場から見離され、派遣会社からも見離され、まさに「なれの果て」状態じゃないですか。
あの時の僕の警告に素直に耳を傾け、自分を変える努力をしていれば、僕らの年齢に応じた暮らしが出来たろうに。
まぁ、僕には関係のないことですがね。
彼が「僕と彼が見失ったものを見つけることが出来るかもしれない」と書いているのですが、そもそも僕は何も見失っていませんので(笑)見つけることもないんじゃないかと思います。
バサラさん、否、義田さん。
あなた、何か大きな勘違いをしているんじゃないですか?
もう一度胸に手を当てて、よく考えてみてください。
あなたには、僕や僕の友だちが過ごしたあの京都の、あの時期を書く資格なんて一切ないのですよ。
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【今日の一曲】
九州の彼女。そして僕。
この曲を聴いていた頃には、すでに愛想をつかしていましたから。
あの頃のバサラさんにはもう、愛するとか憎むとか、そんな選択肢はまったく与えられていなかったのですよ。
残念ながら。
皮肉な選曲です。
「JUST BECAUSE」 by J-WALK
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